栃木県障害者スポーツ協会

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第7回 大塚忠胤さん『楽しく生きる!(笑)』(1/3)

“スポットライト”第7回目は、『インチョン2014アジアパラ競技大会』アーチェリー競技の日本代表選手として出場した大塚忠胤(おおつか ただつぐ)さんにお話を伺いました。アーチェリー競技は障害のある人とない人がほぼ同じルールで競い合える数少ないスポーツの一つです。しかしながら、大塚さんは右手に障害があるために握力がほとんどなく、弓を引く動作は口で行います。そんな大塚さんが競技で使う弓は「コンパウンドボウ」と呼ばれる弓で、世界中に見ても最も普及している弓です。弓は滑車を用いた構造で、ドローイング中(弓を引いている途中)は荷重がかかりますが、フルドローに近づくにつれ荷重が減り、フルドロー時には表示されているポンド数の半分以下にまで下がり、身体への負担が軽くなり楽にエイミング(狙うこと)ができます。映画「ランボー」で使用されている弓と言えばイメージできる方も多いかもしれませんが、比較的体力がない方でも十分に楽しめます。今回は、大塚さんにスポットライトをあて、アーチェリー競技の魅力や大塚さんの人間性に迫りたいと思います。[聞き手:協会職員(小金沢)]

 

▼なぜアーチェリーを始めようと思ったのですか?

小金沢:障害者が楽しんでいるスポーツは沢山あると思いますが、なぜアーチェリーを始めようと思ったのですか?

大 塚:高校生のときに山岳をしていたのですが、たまたま同じ会社に勤めていた方がアーチェリーをしていて、その方に「フィールド・アーチェリー」という競技があることを教えていただきました。それを見に行ったことが始まりでした。「フィールド・アーチェリー」という競技は、山の中を歩きながら的を射る競技です。私は、その頃はあまり運動をしていなかったので・・・。

小金沢:「フィールド・アーチェリー」を見てどのように感じましたか?

大 塚:実は、「フィールド・アーチェリー」を見学する前のことですが、確か2005年11月頃だったと思います。周囲の人から「口を使って弓を引いている選手がいるから、あなたもできるよ。」と言われました。私は、早速、弓メーカーのカタログを取り寄せて、初めて口を使って弓を引いている選手がいることを知りました。その選手の名前は、“ジェフ・ファブリー”選手と言います。私の憧れの選手です。「フィールド・アーチェリー」を見学した話ですが、実は、『群馬国際フィールド・アーチェリー場』という場所がありまして、見学するつもりがアーチェリーを初体験することになってしまいました。そこのオーナーの方から進められまして、その時はどうすれば良いのか分かりませんでしたが、周囲の人たちが教えてくれたおかげで何とかできましたし、すごく楽しかったです。

小金沢:他のスポーツには興味はなかったのですか。

大 塚:他の競技のことは考えませんでした。やはり山歩きが好きでしたので、「フィールド・アーチェリー」という競技は自分には合いました。それから、少しずつ上手く撃てるようになってきましたので、その翌年の2月に室内で18mの距離を撃つ種目の競技会に出場しようということになったのですが、残念ながらその競技会には出場させてもらえませんでした。

小金沢:それは何故ですか。

大 塚:大会主催者から「口で弓を引くことに対して、安全の確保ができるか分からない。」と言われてしまいましたので、断念しました。

小金沢:そう言われて、どう感じましたか。

大 塚:「もっともだと思いました。誤射して体育館を傷つけられたら困るよな。」と思いました。それでも、競技会を見に行きましたが、実際競技をしている高校生が的を外しているのを見て、「俺の方が、もっと上手いぞ。」と思いました。そして、「それじゃ、ちょっと見返してやろうじゃないか。」と思いました。

小金沢:いったいどうやって認めさせたのですか。

大 塚:先ずは、「フィールド・アーチェリー」を練習しました。「室内だから駄目だということならば、アウトドアならば良いだろう。」と考えまして練習しました。だた、そのとき困ったのは最長で60mの距離を撃てるようにならなければならなかったので最初の頃は大変でしたよ。

小金沢:その距離を射てたのですか?

大 塚:努力しました。最初引いていた重さが15ポンドでした。次に20ポンドに上げ、そして30ポンドに上げました。そのような方法で徐々に届かないということを克服しました。

小金沢:一流になるためには、人の見ていないところで努力をされているのですね。

大 塚:でも、努力と言いますが、試合に出たかったし、苦しいとは感じませんでした。

小金沢:苦しかったら続かないですよね。

大 塚:ときには苦しいと感じるときもありますよ。私は、そのようなときに始めた頃のアーチェリーの楽しさを思い出すため、ラスベガスで開催される大会に出場することにしています。それは、そこに行けば憧れの“ジェフ・ファブリー選手”に会えるからです。初めてラスベガスで“ジェフ・ファブリー選手”に会いに行ったとき、私は、「弓のカタログに出ていた“ジェフ・ファブリー選手”は、どういう道具を使っているのだろう。どうやって射っているのだろう。」と思い描きながら会いに行きました。私は“ジェフ・ファブリー選手”に会ったときの感動を思い出すためにラスベガスの大会に出場するのです。最初に“ジェフ・ファブリー選手”にあったときは、「カタログであなたの写真を見て、私は勇気をいただきました。」と伝えました。私は、それからずっと競技を通して彼との交流が続いています。

小金沢:2005年頃にアーチェリーを始めて、たった9年足らずで『アジアパラ競技大会』に出場する選手になるためにはどのような練習をされたのですか。

大 塚:ただ射つだけです。アーチェリーで使う筋肉は、アーチェリー以外では使わない筋肉です。後は集中力を高めるトレーニングが必要ですが、日常生活の中で何かに集中することはできますので特別なことはしていません。競技は4分間で6射を終えなければなりません。団体戦になりますと20秒で1射を撃つことになります。ですから、長い時間を集中するトレーニングは必要ないのです。その他に競技で必要なことは、メンタル的なものになりますが、切り替えの早さというものが求められます。1射を撃って、たとえ失敗したとしてもそれを引きずらないことが大切になりますので、普段から気をつけています。

小金沢:奥が深いスポーツですね。

大 塚:アーチェリーでは「昨日の自分に勝てるように頑張りましょう。」という言葉があります。人間は進歩していくものなので、「昨日の自分に勝てるように頑張りましょう。」ということです。

小金沢:素晴らしい言葉ですね。ところで、大塚さんは『足利工業大学』でアーチェリー部監督をされていますが、教えることについてはいかがですか。

大 塚:教えることというのは観察をしなければなりません。アーチェリーという競技は道具を使うので一人一人に正解というものはありません。私は口を使って撃っていますし、人とは違いがあります。だから、どんな方法がこの人に合っているのかなということをよく観察しながら教えることにしています。私が何よりも教えたいことは、「アーチェリーを好きになってください。」「楽しんでください。」「エンジョイしてください。」「ファンになってください。」「楽しいスポーツです。」ということです。

 

『インチョン2014アジアパラ競技大会』について

小金沢:昨年10月に韓国で開催されました『インチョン2014アジアパラ競技大会』に日本代表選手として出場し、「CP-OPEN MEN」種目で出場24名中8位という成績を残されました。この成績については、どのように評価されていますか。

大 塚:最低ですね。インチョンに行って思ったことは、国内でも各競技団体でメダルの数を競い合っていて、それに勝つことが重要だということを感じました。メダルの数は、その競技団体の評価になり、それは強化費につながるわけです。それは、その競技を代表するものとして相当プレッシャーに感じました。『アジアパラ』のときは、自分の中ではいつも以上にプレッシャーを感じてしまいました。そのプレッシャーに負けてしまったと思います。競技を楽しむとかではなく、メダルを取らなくてはならないと強く感じてしまいました。栃木県からは『ローイング競技』で駒﨑選手が一緒に行きましたが、彼は銀メダルを獲得しているので、すごく悔しいです。

小金沢:大塚さんとしてはベストパフォーマンスできたのですか。

大 塚:いいえ。できませんでした。調整不足でした。

小金沢:大塚さんは何度も国際大会に出場しているようですが、海外に出てみて感じることがあれば教えてください。

大 塚:海外の試合では、例えばヨーロッパでは20時間近く飛行機に乗りますので、先ず移動に耐えなければなりません。東南アジアの試合に行った場合でも、日本ほどバリアフリーではないです。昨年、タイで行われた『ワールドカップ・インドア大会』に出場したのですが、入口は階段で段差がありました。車椅子の選手は、皆で抱えて運んでもらいました。それが世界の実情なのです。最近は東南アジアの選手は伸びてきています。「インド」も「マレーシア」も「タイ」も、どんどん追い上げています。

小金沢:そうですか。

大 塚:「インチョン」に行って痛感したのは、中東の国々の選手は、軍人さんが多いということです。傷痍軍人です。日本のように障害者を育てて強くするのではなく、もともと軍人さんですから、すでに競技者としては出来上がった人が「パラリンピック」の競技種目を始めているということで差があると感じます。日本は、「全国障害者スポーツ大会」は初心者の登竜門として存在し、『ジャパンパラリンピック・アーチェリー競技会』があり競技者を育てる大会として存在したのですが、その大会も昨年から無くなってしまいました。日本は競技者を育てる環境が少なくなりましたが、中東の国は育てる環境は必要ないのです。なぜならば傷痍軍人ですから。精神面だって鍛えられているわけです。強い選手が出てくるわけですよ。

 

第14回全国障害者スポーツ大会(長崎がんばらんば大会2014)について

小金沢:昨年は、『第14回全国障害者スポーツ大会(長崎がんばらんば大会2014)』に出場されました。開催期日が11月2日ということで、『アジアパラ競技大会』が終わってすぐというタイミングでした。大塚さんは、全スポは今回で2度目ですが、前回出場した第6回大会(兵庫大会)と比べていかがでしたか。

大 塚:実は、本当は東京大会で出たかったのです。東京のときは別の方で出たいという方がいたので譲りました。なぜ東京で出たかったかというと2020年に向けて頑張っているということをアピールするのは、メディア的にも東京が良いと思ったからです。ただ、今回長崎の話をいただいたことは有難いことでしたので、出ることにしました。

小金沢:未だ『全国障害者スポーツ大会』に出場したことがない方に、何か伝えたいことはありますか。

大 塚:全国障害者スポーツ大会という大会は、私は初心者の登竜門となる大会だと思っています。そして、この大会の出場をきっかけとして、次のもっと上のランクの大会を目指して欲しいと思います。

 

<大塚忠胤(おおつか ただつぐ)さんのプロフィール>

生年月日:1968年3月22日
住所:足利市
職業:株式会社レンタルのニッケン
障害名:肢体不自由(一上肢の機能を全廃)
趣味:オートバイ、モータースポーツ観戦(テレビ観戦)
家族構成:妻、子ども3人(男の子、女の子、女の子)
競技歴:11年
好きな言葉:おもしろき事なきこの世をおもしろく(高杉晋作)
愛読書:竜馬がゆく、深夜特急
好きな歌:Don‘t Stop Me Now(Queen)
好きなタレント:タモリ
主な成績:
2009年 全日本障害者室内選手権CP男子 優勝
2010年 全日本障害者室内選手権CP男子 優勝
2010年 ジャパンパラリンピックCP男子オープンの部 優勝
2011年 厚生労働大臣杯全日本障害者アーチェリー大会CP男子オープンの部 優勝
2011年 ジャパンパラリンピックCP男子オープンの部・3位
2011年 APC Archery Cup Championship タイ・バンコク 8位
2011年 全日本社会人フィールドアーチェリー選手権 4位 ※健常者の大会
2012年 NFAAワールドアーチェリーフェスティバルin VEGASFLXクラス 優勝
2012年 全日本フィールドアーチェリー選手権 10位 ※健常者の大会
2013年 全日本社会人フィールドアーチェリー選手権 10位 ※健常者の大会
2013年 NFAAワールドアーチェリーフェスティバルin VEGASチャンピョンシップLXクラス 3位
2013年 全日本フィールドアーチェリー選手権 10位 ※健常者の大会
2013年 厚生労働大臣杯全日本障害者アーチェリー大会CP男子オープンの部 フェニックス杯 3位
2013年 NFAAワールドアーチェリーフェスティバルin VEGASFLXクラス2位
2014年 全日本フィールドアーチェリー選手権 16位 ※健常者の大会
2014年 全日本社会人フィールドアーチェリー選手権 6位 ※健常者の大会
2014年 インチョン2014アジアパラ競技大会 CP-OPEN MENベスト8
2014年 第14回全国障害者スポーツ大会長崎がんばらんば大会2014 クラス2位

( 2/3へ続く)