“スポットライト”第6回目は、「車椅子バスケットボール」で『ロンドンパラリンピック』にも出場した増渕倫巳(ますぶち ともみ)さんにお話をお聞きしました。
[聞き手:協会職員(小金沢)]
▼栃木レイカーズについて
小金沢:増渕さんは、現在『栃木レイカーズ』というクラブに所属していますが、増渕さんの特徴というか、やりたいことは他のメンバーと共有できていますか。
増 渕:選手個々の特徴というのは分かっていますので組み立てやすいです。ただ人数は多い方ではないので一人一人に対する負担は大きいと思います。組み立て方については、共有できている部分はたくさんあると思います。
小金沢:『栃木レイカーズ』は、栃木県代表チームとして『第13回全国障害者スポ-ツ大会(スポーツ祭東京2013)関東ブロック予選会』に出場しました。私も試合を観戦しました。3位という結果については、どのように感じていますか。
増 渕:3位までは行くだろうと思っていました。1日目は、自分達がやりたいバスケットボールはできていたと思います。プラン通りできたと思います。でも、2日目に強いチームと対戦しましたが、強いチームを相手にしても自分達のプラン通りにできるのかということが勝つために重要なことですが、それができなかったということです。相手は埼玉県だったと思いますが、途中までは10ゴール以内でゲームを進めていましたし、勝つチャンスはあったと思います。しかし、勝負所で自分達がやりたいバスケットボールをやり切れなかったということだと思います。逆に言えば、自分達のやりたいことを途中まではできたし、やり切ることができたら勝てると感じました。ただ、次のレベルに進むためには、自分もやらなければならないことはありますが・・・。
小金沢:『栃木レイカーズ』の試合をずっと見てきている訳ではありませんが、数年前に見たときは、増渕さんが攻守にわたって目立っていたのですが、今回見て感じたのは、増渕さんのイメージを他の選手が分かっていて、よく連動しているなと感じました。余談ですが、予選会では、交流戦で東京チームと対戦しましたが、見ていてとても楽しい試合でした。負けず嫌いな一面が良く出ていましたね。
増 渕:そうですね。自分がやるからには誰にも負けたくないですね。
小金沢:『栃木レイカーズ』は、『第38回日本選手権』に出場しました。私も、念願が叶い嬉しかったです。実は、私の願いは、もう一つあります。それは、御承知のとおり「車椅子バスケットボール栃木県代表チーム」は、『全国障害者スポーツ大会』に未だ出場していませんが、是非、出場して欲しいと思っています。2022年には、本県で『全国障害者スポーツ大会』の開催が内定していますが、開催県に自動的に与えられる出場権ではなく、予選会を勝ち抜いて出場して欲しいと思っています。そして、本県で開催される全国大会では、大勢の観客の前で、決勝戦を戦って欲しいと思っています。
増 渕:今のチーム状況は悪くないと思います。個人個人が、今よりも上手になりたいという気持ちで取り組むことが大切だと思います。現在、チームには素晴らしい指導者がいます。良いアドバイスをいただき勉強になっています。その教えを皆が体現できれば、十分にやっていけると思います。
小金沢:後は新しい選手の発掘ができれば選手層も厚くなり良いですよね。
増 渕:選手が多くなれば競争が生まれ、競技力も向上するし良いことだと思います。しかし、8年後ですか。45歳ですよ。
小金沢:まだまだこれからですよ。
増 渕:『ロンドンパラリンピック』のように自分を追い込むというのは、仕事や家族のこともあります。現状では難しいところもありますが、自分のできることは、これまで通りやろうと思っています。力が抜けて、リラックスして良いかもしれません。
小金沢:『ロンドンパラリンピック』が終わって、他のことに挑戦しようとか考えたりしませんか。車椅子バスケットボールでの達成感というものはあると思うのですが、何か他のスポーツに挑戦しようとか思いませんか。
増 渕:ありますよ。実は、昨日、水泳をやってきました。『栃木県身体障害者水泳協会』の駒﨑さんに連絡をとって、メンバーと一緒に練習しました。
小金沢:駒﨑さんは、水泳の他にもヨットにも挑戦しています。水泳では、昨年の全スポで25m平泳ぎで金メダルで大会新記録でした。有言実行で凄い男ですよ。また、一昨年は、ヨットでもアジア大会に出場し金メダルを獲得しました。
増 渕:車椅子バスケットボールをやっていて肩を故障することが多く、関節の可動域を増やした方が良いと思って水泳を始めました。車椅子バスケットボールをする上でもプラスになるだろうと思って、『ロンドンパラリンピック』が終わったら始めようと思っていました。また、健康にも良いだろうし、その先にある競技へと発展できたら良いと思います。
小金沢:車椅子マラソンの世界記録保持者のハインツ・フライは、『北京パラリンピック』では自転車にも挑戦しています。人間の可能性というものには限界がないんだと感じます。増渕さんも、車椅子バスケットボールだけではもったいないと思います。
増 渕:「ワハッハハ」そんなことはないですが、色々なことに挑戦したいと思います。そうすることで自分の可能性を広げることにもなりますし、何でもできるのだと皆が思ってくれたら良いです。
▼障害者スポーツキャラバン活動について
小金沢:増渕さんには、当協会の事業で「障害者スポーツキャラバン活動」で大変お世話になっております。『障害者スポーツキャラバン活動』は2012年から実施していますが、県内の学校・企業等に向けて障害者スポーツ選手を派遣し、講話や実技体験をとおして障害や障害者スポーツへの理解を促進することを目的とした事業です。増渕さんに対する依頼は多く、沢山の学校を訪問していただいておりますが、実は、今日ここに新聞記事の切り抜きを持参しておりますので紹介します。「佐野高・附属中」で講演した内容が書かれているのですが、講演の演題は「あきらめない心」でした。同校附属中の生徒約600人を前にして講演されましたが、講演の中で「今となっては車椅子になってよかったと思っている。おかげでいろいろな経験ができた。大変な時こそが大きく変われるチャンス。後悔しないために目標に向けて一生懸命頑張って」と呼びかけたとあります。 「大変な時こそが大きく変われるチャンス」という言葉は、大変インパクトのある言葉です。
増 渕:「あきらめない心」という演題ですが、「あきらめない」という言葉はありきたりの言葉ですが、特に「心」という言葉は大切にしています。全ては「考え方」というか、「心の持ち様」だと思います。「物事は、捉え方によって変わって行けるのだということを伝えることができれば良い。」と思っています。それで「あきらめない心」というタイトルになりました。
小金沢:「駒﨑さん」や「金田さん」とも対談しているのですが、障害を受けてから「様々な出会いや経験をした。そのことは、自身がスポーツと出会っていたことが大きかった。」と語ってくれました。増渕さんはいかがですか。
増 渕:車椅子バスケットボールとの出会いは大きかったと思います。車椅子バスケットボールとの出会いが無かったら、もっと引きこもっていたかもしれない。
小金沢:増渕さんを応援する人はたくさんいると思いますが・・・。
増 渕:そうですね。家族、たくさんの方に応援してもらっています。「車椅子バスケットボールをやることが障害を乗り越えるための糧であって、さらに上手くなることで障害になっても良かったと思えるぐらいのものに変わって行ったと思います。僕のプレーを見て刺激を受けてくれる人、応援してくれる人がいて、またさらに良いものを見せたいと思って頑張る。」というサイクルだと思います。
小金沢:先日、専門学校で主催する障害者スポーツ指導員養成講習会で御一緒しましたが、増渕さんは学生を前にして「皆が僕たちを支えてくれるおかげで、僕たちは頑張っている。でも、いつ僕のような車椅子の生活になるかもしれないけれど、そのときは今日のことを思い出して欲しい。」という話を僅か数分の話の中で2、3回繰り返したことが印象的でした。先ほど「障害を乗り越える。」ということについてお話しを伺いましたが、障害者スポーツで活躍している人を見ると「障害を乗り越える。」という同じようなストーリーを思い描いてしまいますが、やはり、人それぞれに違っていて、整理の仕方というものも違っているのだろうと感じました。増渕さんは、車椅子バスケットボールをしている瞬間、特に『ロンドンパラリンピック』という目標を持ち無心でいられたのだろうと思うのですが、いかがですか。
増 渕:自分の目標である『ロンドンパラリンピック』が終わってしまいましたが、あの時はひたすら目標に向かって無心で走って行けば良かった。ある意味では楽でしたけれど、これから何をやりたいということを考えると、『ロンドンパラリンピック』までは、家族に十分なことができていなかったと思うので、これからは家族のためにできることをしたいと考えています。なかでも子供のことを考えると歯がゆいと思うことがあります。一般的な遊びをしてあげられないことが少なからずありましたし、また、車椅子に乗っている時間というのは手をつないで歩いてあげられません。そんなときは、歯がゆさを感じます。先ほど「気持ちは行ったり来たり」という話がありましたが、気持ちが行って、戻って来ているときの自分は、そんなことを考えてしまいます。「あきらめない心」というのは、そこにつながると思います。「車椅子になったから駄目ということでではなく、車椅子になったからこそできる何かがあるという捉え方をすれば、全てが変わってくる。」と思います。僕は、「大変なこと」というのは、これまでたくさん起きてきたと思います。車椅子になったとき、そこから日本代表を目指すときも大変だったし、仕事を終えて練習することも大変だったし、毎日の生活の中でも大変なことはあったし、目標を高くすればするほど大変なことは増えたと思う。でも、そのときこそ頑張って、そして結果が出て良かったと思える瞬間が今まであった。「辛いときはジャンプをするとき(飛躍するとき)であって、しゃがんでいるから皆より目線が下がっているときであって、そのときは自分だけ辛く感じるものだと。しゃがんでいるときは屈伸しているときで、その後には高く飛ぶことができる。大変なときこそ大きく変わるチャンスです。」という話は、先輩である京谷さんから聞きました。そのときに思ったことは、自身の経験として「大変だったときに頑張れば、次になりたい姿の自分になれていた。」ということでした。「逆に大変だから避けていたときは、あのときそうしていれば良かったという自分もいた。」ということを知っていた。両面を知っていた。そのことを伝えたいなと思っていたところ京谷さんが話したことが分かりやすかったし、自分でも体験談として伝え易かったので講演で話をしています。
小金沢:『ロンドンパラリンピック』で注目されているときに、増渕さんがこの言葉を使ったのは、大変インパクトがありましたし、そのことで勇気付けられた人もたくさんいたと思います。増渕さんは素晴らしいことを言ったなと思いました。やはり、体験談ですから説得力があると思います。車椅子バスケットボールを続けてきて良かったと思えることはたくさんあったと思いますが、特に印象に残っていることを教えていただけますか。
増 渕:純粋にバスケットボールだけの話をすれば、『ロンドンパラリンピック』までは辛いこと、大変なことはありました。自分にとって楽しいはずのバスケットボールですが・・・。本当に簡単なシュートでも、あのときは自分にプレッシャーがかかってしまい入らなかったこともありました。「メンタルが弱い。もっと強くならなければ」とメンタルトレーニングをしました。
特に印象残っていることですが、『ロンドンパラリンピック』でのことですが、世界で№1だと言われるプレイヤーがいて、彼が僕をブロックをしにきたので、あまり得意ではなかった左で下からランニングシュートを打ちましたが、それが入った時は、「報われたな。」と感じました。基本的に「ランニングシュート」というシュートは、シュートの中でもイージーなものと言われていますが、それすら自分で分からなくなったときもありました。それを克服するためにトレーニングしましたが、いざ本番でそれが決まった瞬間は、本当にうれしかったです。たかが1本ですが、やってて良かったなと思える瞬間でした。
小金沢:そこでお聞きしたいのは、『ソチオリンピック』で浅田選手はプレシャーからか初日は思うような演技ができませんでしたが、わずかな時間で気持ちを整理して臨み、2日目には自分も満足する演技をすることができました。やりきったという清々しい表情でした。増渕さんは、『ロンドンパラリンピック』では、そう思えるような瞬間はあったようですが、あれから2年が経過し、現在の心境について語っていただけますか。先ずは、やり遂げたという気持ちでいますか。
増 渕:『ロンドンパラリンピック』は、自分の中では1つの区切りでした。そこを終えてみないと分からないことはたくさんあったのですが、とりあえずは、そこまでやろうという気持ちでいました。僕だけの問題ではありませんし、家族には色々なことを我慢してもらった。家族は、我慢したと思っていないかもしれませんが・・・。そういう時間は削りながらバスケットボールをやってきたと思います。やりきったかどうかですか。自分の使える時間は全て使ってやってきたので、やりきったということですが・・・。終わってみて思うのは、「まだできた。」という思いもあります。
<増渕倫巳(ますぶち ともみ)さんのプロフィール>
生年月日:1977年2月12日(年齢37歳)
住所:宇都宮市
職業:公務員
障害名:両下肢の機能の著しい障害
趣味:料理、アウトドア、 スポーツ観戦(サッカー日本代表の試合は欠かさない)※サッカー日本代表では本田選手、長友選手のファン
家族構成:祖母、父母、妻、娘
競技歴:10年
好きな言葉:初心忘れるべからず(世阿弥の言葉)、有言実行
愛読書: 置かれた場所で咲きなさい(渡辺和子:著)
よく聞く歌:THE BLUE HEARTS、LM.C
好きなタレント:堀北真希
主な成績:
2006年 フェスピック競技大会
2008年 日本選抜車椅子バスケットボール大会 優勝
2010年 車椅子バスケットボール世界選手権大会 10位
2010年 広州アジアパラリンピック
2012年 ロンドンパラリンピック
2013年 日本車椅子バスケットボール選手権大会 優勝