“スポットライト”第5回目は、「クロスカントリースキー」で冬季デフリンピック日本代表選手に2度も選ばれました喜井寛(きい ひろし)さんにお話をお聞きしました。 喜井さんは、聴覚に障害をお持ちですが、2011年に障害者スポーツ指導員の資格を取得し、ボランティア活動にも熱心に取り組んでいる方です。今回は、喜井さんにスポットライトをあて、クロスカントリースキーの魅力や人間性に迫りたいと思います。[聞き手:協会職員(小金沢)]
▼障害者スポーツ指導員の資格を取得したのは、どのような理由からですか?
小金沢:喜井さんには、前々からお話をお聞きしたいなと思っていました。今日は、お忙しいところ、本当にありがとうございます。インタビューを通して、クロスカントリースキーの魅力や人間性に迫りたいと思いますのでよろしくお願いします。さて、今から約2年前になりますが、当協会が主催する「栃木県障害者スポーツ指導員養成研修会」を受講し、「公益財団法人日本障害者スポーツ協会公認初級障害者スポーツ指導員」を取得されましたが、国際大会に数多く出場した経験を持つ喜井さんが、なぜ今受講しようと思ったのですか。
喜 井:デフリンピックに選出されたとき、協会をはじめ多くの方々に支えていただきました。それらの方々への恩返しの気持ちもあって受講することにしました。また、障害のある方に自分の経験を伝えたいとも思いました。障害者同士でもっと互いを理解し、スポーツを普及したいと思いました。
小金沢:現役を退かれるわけではありませんよね。
喜 井:今はちょっと一休みの状態ですが、引退ではありません。現在、少しずつトレーニングを進めています。
▼クロスカントリースキーの魅力についてお話をお聞きします。
小金沢:昨年の夏は、ロンドンで行われた『オリンピック』、そして『パラリンピック』で日本人選手が大活躍しました。ロンドンでの日本人選手の活躍は、日本中のすべての人々に明るい話題と元気を与えてくれました。喜井さんは、クロスカントリースキーで日本代表選手になりましたが、クロスカントリースキーの魅力や素晴らしさについてお話をいただけますか。
喜 井:クロスカントリースキーは、年齢に関係なく、多くの方に楽しんでいただけるスポーツだと思います。自然の中を滑るので、大変気持ちが良いです。映像では、ときどき苦しそうにしている姿も映し出されますが、実際に滑ってみると楽しく、大変心地良いです。また、競技だけでなく、楽しみながら取り組めます。自然と一体になれることが素晴らしいと思います。
小金沢:普段の練習は、誰かと一緒に行うのですか。
喜 井:いろいろですね。ひとりで練習するときもあれば、仲間と一緒にするときもあります。
小金沢:どこで練習するのですか。
喜 井:オフシーズンは那須野が原公園と県北体育館、大田原市温水プール、茶臼岳などで練習します。シーズン中は奥日光、福島、北海道などで練習します。
小金沢:クロスカントリースキーと出会ったきっかけは何だったのですか?
喜 井:今から15年前になりますが、当時私が高校生のときに『長野冬季オリンピック』が開催され、そのときにクロスカントリースキーという競技をはじめて見ました。私もやってみたいと思いましたが、当時は高校生でしたので活動費がなく断念しました。そして5年後の2003年のことですが、ある雑誌にパラリンピック日本代表監督の言葉で「クロスカントリースキーで一緒にデフリンピックに行こう!」という熱いメッセージに影響を受けて、『デフリンピック』に出たいという気持ちになりました。それから本格的に競技に取り組みました。
小金沢:はじめて『デフリンピック』に出場したのは2007年でしたので、競技をはじめてからたった4年ですか?
喜 井:練習を始めた頃は下手でした。でも、「デフリンピックに出たい。」という大きな夢を持っていたので、「絶対に負けない。」という強い気持ちで諦めずに練習しました。毎日のように練習してパワーアップすることができました。
▼聴覚障害というハンディキャップがありましたが、競技をする上で、何か大変だったことはありませんでしたか?
小金沢:『デフリンピック』の日本代表選手に選ばれるまで相当厳しい練習をされたと思います。聴覚障害というハンディキャップを持ちながら競技をすることは大変だったと思いますがいかがでしたか?
喜 井: クロスカントリースキーのルールでは、前を走る選手にコースを空けてもらうための「バンフライ」というルールがあり、後ろから抜いてくる選手から声をかけられた選手はコースを空ける必要があります。聴覚障害者にはその声が聞こえないので、失格となってしまうという不安要素がありました。その他にも、競技会でスタート時間やルールについて情報が入らなくて大変なこともありました。
小金沢:「バンフライ」のルールで失格となったことはありましたか?
喜 井:いいえ、ありません。前もって、聞こえないということを本部に伝えてあります。後ろから選手が来ても集中しているのでいつ抜かれるのか分かりませんので、ときどき後ろを振り返りながら滑っています。
小金沢:クロスカントリースキーの話を家族の方にすると思いますが、応援してくれていますか?
喜 井:はい、応援してくれています。大会結果を報告したときには、一緒に喜んでくれます。よく理解してくれています。
小金沢:家族の方は、大会のときに応援に来ますか?
喜 井:呼びたい気持ちはありますが、現在遠いところにいるので、応援に来ることはありません。大会結果については、いつも報告しています。
小金沢:この企画では、いろいろな方と対談させていただいていますが、皆さんがよく言われることは、「家族の支えがあってここまで頑張れた。」と言っています。
喜 井:私も同感です。
▼デフリンピックに出場した感想をお聞かせください。
小金沢:聴覚障害者を対象とした国際大会で最高峰と言われる『デフリンピック』にクロスカントリースキーの日本代表選手として2度選ばれています。最初は、2007年のアメリカ・ソルトレイク大会で、2度目は2011年のスロバキア・ハイタトラス大会でした。本当に残念な話ですが、ハイタトラス大会については、大会運営資金の不足を理由に中止となりました。あのときは、喜井さんは日本選手団の旗手に選ばれていましたし、2大会連続の出場となるはずでした。喜井さんの他に栃木県から3人が選ばれていました。後から聞いた話ですが、栃木県の4人の選手は既に現地(ハイタトラス)に到着していて、突然中止の知らせがあったとそうですね。非常に厳しい現実で気持ちの整理がつかなかったと思いますがいかがでしたか。
喜 井:4年間努力してきたことや積み上げてきたことが一気に崩れてしまいました。あのときは、本当に残念でした。今までお世話になってきた方にも大変申し訳ない気持ちでした。『オリンピック』や『パラリンピック』では絶対ありえないと思います。今でも大変強い憤りを感じますが、風化させたくないと思います。次に同じようなことがありましたら、もう参加したくないです。これからは、『デフリンピック』の大切さと伝統を次の世代に伝えたいと思います。もっと『デフリンピック』の知名度を上げるための活動をしたいと思います。
▼競技を続けてきて、特に感動したこと、印象に残っていることはありますか。
小金沢:あまり思い出したくないような話をお聞きしましたが、気分を変えていただき、今度はこれまでの競技歴の中で特に感動したこと、印象に残っていることなどお話をいただけますか?
喜 井:クロスカントリースキーを通して多くの人と出会いました。それらの出会いを通してたくさんのことを学びました。スキーの技術はもちろんですが、生きていくうえで大切なことを学びました。
小金沢:この企画では、たくさんの方にインタビューしましたが、「スポーツとの出会いによって、多くの人とのつながりが生まれ、人間として成長できた。」ということが共通していると感じます。
喜 井:同感です。もし、クロスカントリースキーとの出会いがなかったら、そのようなことは無かったと思います。
▼今後の障害者スポーツの充実・発展について、お話をいただければと思います。
小金沢:最後に、これからの障害者スポーツはどうあるべきなのかというお話をいただきたいのですが、よろしくお願いします。スポーツは、人々に勇気や希望を与え、感動させる力があります。特に、障害のある方がスポーツに打ち込む姿は、不可能を可能にする力や諦めないで努力することの大切さを教えてくれます。さて、2011年8月にスポーツ基本法が施行され、スポーツは年齢や性別、障害等を問わず、すべての国民の権利だとし、広めることが国や自治体の責務だと定めていますが、今後は、障害者スポーツの環境もより良い方向に変わってくるものと期待されています。
喜 井:聴覚障害者のスポーツは、まだまだ認知されていないと感じています。『デフリンピック』が、『オリンピック』や『パラリンピック』と同じように扱って欲しいと思います。
小金沢:身近なところではいかがですか。
喜 井:スポーツ施設で言えば、職員の方に手話を覚えて欲しいと思います。スポーツ施設に“電光掲示板”があると聴覚障害者にも情報がわかるので良いと思います。
小金沢:そうですね。手話ができる人がいるスポーツ施設は少ないと思います。最後に、現在スポーツを楽しんでいる障害者に向けて何かメッセージをお願いします。
喜 井:スポーツを楽しんでいる障害者の方には、自分の目標を持って頑張って欲しいと思います。もし壁にぶちあたっても簡単に諦めることなく最後まで頑張って欲しいと思います。
小金沢:『デフリンピック』に出るためにはどうしたら良いのでしょうか?
喜 井:目標をもって地道に取り組むことが大切だと思います。また、支えてくれる方への感謝の気持ちを忘れずに練習に励むことも大切です。
小金沢:障害者スポーツ指導員に向けて何かメッセージをお願いしたいと思います。
喜 井:資格を持っていても何もしなければ意味がありません。是非、活動を通して障害者と出会い、そこから何かを感じて欲しいと思います。
<喜井 寛(きい ひろし)さんのプロフィール>
生年月日:1981年7月4日(年齢31歳)
住 所:大田原市末広
勤務先等:東芝メディカルシステムズ株式会社
障害名 :聴覚障害者(身体障害者手帳3級所持) 補聴器使用
趣 味:登山、水泳、読書、料理(得意料理はうどん)
資 格:公益財団法人日本障害者スポーツ協会公認初級スポーツ指導員
家族構成:両親、妹の4人家族
競技歴 :10年
好きな言葉:努力、己に厳しく、前向きに
愛読書:「学び続ける力」「努力は裏切らない」「信頼する力」
クロスカントリースキー大会での成績
2007年
デフリンピック(アメリカ・ソルトレイク)
・男子個人スプリント(クラシカル)1.3㎞ 順位17位
・男子リレー3×10㎞ 順位4位
2008年
ジャパンパラリンピックスキー競技大会
・男子クラシカル5㎞ 順位1位
・男子フリー10㎞ 順位3位
2009年
メリノ/マスター大会(ニュージーランド、ワナカ)
・男子フリー21㎞ 順位2位
ジャパンパラリンピックスキー競技大会
・男子クラシカル4.5㎞ 順位3位
・男子フリー9㎞ 順位1位
国体県予選 成年B組クラシカル10km 順位3位
栃木県選手権 男子クラシカル10km 順位5位
札幌国際スキーマラソン大会 一般男子フリー25km 順位46位
2010年
ジャパンパラリンピックスキー競技大会
・男子クラシカル5㎞ 順位2位
・男子フリー10㎞ 順位1位
国体県予選 成年B組クラシカル10km 順位2位
栃木県選手権 男子クラシカル10km 順位4位
札幌国際スキーマラソン大会 一般男子フリー25km 順位59位
2011年
ジャパンパラリンピックスキー競技大会
・男子クラシカル5㎞ 順位1位
・男子フリー10㎞ 順位1位
デフリンピック(スロバキア・ハイタトラス) ※中止