栃木県障害者スポーツ協会

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第3回 駒﨑 茂さん『水泳に出会えたこと』

“スポットライト”第3回目は『駒﨑茂さん』のお話を伺います。
駒﨑さんは、平成18年の「第6回全国障害者スポーツ大会兵庫大会(略称「全スポ」という。)」では、栃木県選手団主将を務め、水泳50m平泳ぎで大会新記録を樹立し、金メダルを獲得しました。その後、平成22年4月に『栃木県身体障害者水泳協会』を立上げるなど精力的に活動されています。[聞き手:協会職員(小金沢)]

 

▼栃木県身体障害者水泳協会について

小金沢: 今日は、『栃木県身体障害者水泳協会』の活動や、駒﨑さんの人間的な魅力に迫りたいと思いますので、よろしくお願いします。
さて、昨年(平成22年)4月に『栃木県身体障害者水泳協会』を立上げましたが、まもなく1年になります。今日も、午前中は、『ドリームプールかわち』で仲間と練習したそうですが、1年を振り返ってみてどうですか。

駒 﨑:実は、今日、練習会の後に“総会”を開催しました。仲間とも1年間の活動を振り返りました。10名の仲間とスタートした協会ですが、新聞に記事を掲載していただいたお陰で、仲間が増えました。また、コーチも見つかりました。コーチは2名いますが、健常者の水泳指導の資格を持っています。

小金沢:コーチは、“障害者スポーツ指導員”の資格は、持っているのですか?

駒 﨑:はい、もちろんです。今日もコーチと話をしたのですが、水泳は、障害の状態によって、泳ぎ方やフォームが変わってきます。こんなことをしたらもう少し良くなるだろう、とかを考えて指導しているそうで、最近は、指導する面白みを感じると言っていました。コーチは、月1回の練習会や大会で遠征する際も必ず来てくださいます。

小金沢:月1回の練習会では、どのような練習をしているのですか。

駒 﨑:練習場所は、宇都宮市にある「ドリームプールかわち」です。障害者手帳を持参すれば、無料で利用できます。また、私たちが安全に練習できるようにレーンを1レーン割り当ててくださいます。お陰で安心して泳げていますので、大変有り難いです。

小金沢:『栃木県身体障害者水泳協会』発足について、実は、事務局長の渡辺武子さんと私は平成12年に全スポ富山大会の後夜祭の会場で出会いました。そのとき、渡辺さんから「来年、栃木県に転居するのですが、栃木県には水泳チームはありますか」と聞かれました。私は、残念ながら、栃木県には水泳チームの話どころか、「県障害者スポーツ大会」の参加者が減少している状況にある話をしなければならなかったのです。私は、栃木県に転居したら、是非、一緒になって水泳チームを立ち上げましょうと再会を約束しました。それから、私は、渡辺武子さんや駒﨑さんと連携を図り、『水泳協会』の立上げを目指しましたが、結局10年かかり、平成22年に『栃木県身体障害者水泳協会』を発足することができました。私は、まさか、1年後に10名を超えるような『水泳協会』の姿は想像していませんでした。

駒 﨑:現在は15名になりました。障害種別については、切断が5名、麻痺が9名、視覚が1名です。皆、社会人です。全国的にみても会員数15名は多い方です。一桁のところが多いです。目標は、プールに入れないくらいに会員を増やしたいですね。

小金沢:『栃木県身体障害者水泳協会』の魅力は、どんなところですか。

駒 﨑:いろいろな個性が集まっていて、何か分りませんが、皆で一緒にいると楽しいです。

小金沢:聞くところによると、メンバーの中には、「ジャパンパラリンピック」の標準記録を超えている方もいるそうですね。

駒 﨑:健常者で国体に出るとか、全国レベルの大会に出るのは結構大変なことだと思います。当然、それは障害者も同じです。今日もメンバーとは、志を高く持って取り組めば、今ならば『パラリンピック』に手が届くかもしれないので、頑張ろうと話をしました。もちろん、障害者水泳の世界は、「パラリンピック北京大会」の頃から競技レベルも高くなっているので、大変だと思います。前回スポットライトの佐々木清美さんも言っていたように、昔と比べれば、障害者スポーツ全般が変わってきていると思います。今後、競技人口が増えればレベルが高くなると思います。

小金沢:そのような状況で(パラリンピック)ロンドン大会を狙える方は出そうですか。

駒 﨑:そうですね。ロンドンは難しいかもしれないですが、その先の「パラリンピック」を目指して頑張ろうと言っています。
まだ、メンバーのレベルにバラツキがありまして、当然、初心者の方もいますし、競技者で高いレベルの方もいます。そのような状況で、1つのレーンでどのように練習するのかが課題となっています。水泳には4つの泳法がありますので、全員が4泳法をできるように頑張っています。その結果として自分に合ったものを見つけることができれば良いと思っています。

小金沢:ちなみに、駒﨑さんはどうなのですか。

駒 﨑:私は、4泳法(クロール・平泳ぎ・バタフライ・背泳ぎ)すべてできます。

小金沢:得意は何ですか。

駒 﨑:得意は“ブレスト(平泳ぎ)”です。障害者スポーツの世界では“クラス分け”というのがあり、水泳では“S1”から“S10”までのクラスがあります。“S1”が一番重たい障害になります。ちなみに、私の場合は、同じ障害のレベルの人で他のどのような障害があるのかと言いますと右上腕が1本ない方と同じクラスです。クラス分けで言えば“S8”となります。軽い方から3番目のクラスです。水泳は、動かない部分が抵抗となります。私の場合は、足を切っていますので、その分抵抗が無く腹筋や背筋も効くので、クラス分けでは軽くなるのです。

小金沢:“車椅子バスケットボール”の障害程度に応じた持ち点では、切断の障害は比較的軽く見られていますよね。

駒 﨑:だから知らないと、(手足が)無いと“かわいそう”とか“重たそう”と思います。けれど、そうではなくて、私も、切断だから自分の障害は重いと思っていたのですが、自分のできる障害者スポーツ“水泳”と出合ったことでクラス分けを受けて、考え方が変わりました。私の場合は水泳で受けたクラス分けで、思いのほか軽かった。はじめは、何だと思いましたが、それにはちゃんとした理由があったのです。そのことで、自分の障害について正しく認識できたし、他の障害についても理解することができました。私は、確かに障害者であると思うのですが、自分の中では、それほど重い障害だとは思っていません。目が悪くなれば眼鏡をかけるし、足が悪くなれば義足をはくという感覚でしかありません。

小金沢:このインタビューを通して、水泳をはじめてみようと思う人がたくさんでてきて欲しいです。駒﨑さんの勢い、『水泳協会』の勢いを伝えたいですね。

駒 﨑:水泳は、水着とゴーグルとキャップ(帽子)だけあれば簡単にできます。それが魅力です。私は、健康管理のため水泳をはじめました。普通に食べていると太ってしまうので、水泳をすれば太らないのかなと考えたのです。はじめは、リハビリのため、自分の通っている病院の先生にお願いして、プールにお湯をはってもらってやっていたのですが、それから「健康の森」に通うようになって、事務局長“渡辺武子さん”に出会いました。渡辺さんから大会に出てみませんかと誘われたのです。

小金沢:そうですか。渡辺事務局長との出会いは「健康の森」でしたか。

駒 﨑:はい。その後、私は、本県に水泳チームが無かったので、「茨城県の水泳チーム」に入ることにしましたが、そこには「パラリンピック」のメダリストが2人いて、一緒に泳いでいるうちに、そのようなレベルに近づいたと思います。それから、各種大会に出場するようになり、水泳がどんどん面白くなってきました。

 

▼全国障害者スポーツ大会の魅力について

小金沢:私と駒﨑さんとの出合いは、平成18年の「第6回全国障害者スポーツ大会兵庫大会(略称「全スポ」という。)」でした。
駒﨑さんは、全スポ兵庫大会で栃木県選手団主将を務めていただき、水泳50m平泳ぎで大会新記録を樹立し、金メダルを獲得しました。
50m自由形は大会新記録ではなかったですが、見事、金メダルを獲得しました。駒﨑さんにとって、全スポ大会は、どのような大会でしたか。

駒 﨑:「全国障害者スポーツ大会」は、これまでの各種大会で一緒に試合をした仲間が出ていたこともあり、あまり緊張しませんでした。自分でも、泳いでいるという自信もありました。

小金沢:ちょっと待ってください。駒﨑さんは緊張することってあるのですか。

駒 﨑:逆に楽しんでいますね。面白い話ですが、自分をいじめるのが好きですね。スポーツをする目的は、友達をつくるというのもありますが、私は水泳を競技としてとらえているので、全スポでは記録を狙って臨みました。

小金沢:全スポは、競技歴の中ではどのような位置づけになりましたか。

駒 﨑:やはり自信になりました。なぜかと言いますと、いきなり交通事故で足が無くなって、これから先どうしたらと良いのかという気持ちの中でのスタートでしたので・・・。最終的には、家族という部分が関係してくるのですが、親父が家で寝ている訳にはいかないということや体が太ってきてしまうということで、水泳を始めました。途中、様々なスポーツに挑戦しましたが、結果として、自分には水泳が合っていました。障害者が取り組んでいるスポーツには色々な種類がありますが、スポーツをすれば身体を鍛えることができると思います。私は、水泳を通して腕を鍛えることができました。ハンドサイクルというスポーツがありますが、以前、S級競輪選手と競走したことがあるのですが、500のバンクで試合をして勝ちましたよ。

小金沢:前回の佐々木清美さんとの対談で、佐々木さんは「これまで様々なスポーツに取り組み、沢山の人達と出会うことができたのが良かった」とスポーツの良さを語ってくれました。

駒 﨑:そのとおりだと思います。私も、それを感じています。

小金沢:駒﨑さんと話をしていますと、佐々木さんと共通しているところが多いなと感じます。

駒 﨑:やはり、外に出て行くことによって、何かしらその方ができることや、楽しみを見つけることができると思います。そのことによって、いろいろな方向に発展する可能性もあります。ですから、とり合えず外に出ましょうと言いたいですね。そうすると、意外と色々なところからお声がかかるようになるのですよ。


▼私は、今、生かされていると感じています

小金沢:私の印象では、駒﨑さんは、大変強い方だなと感じています。
平成5年の交通事故が原因で下肢に障害があると伺っていますが、ここまで来るまでには大変なご苦労があったと思います。辛い時期をどうやって乗り越えたのでしょうか。

駒 﨑:それは一言で言えます。家族です。

小金沢:私が、駒﨑さんとの話で印象に残っているのは、リハビリの段階での家族の話です。
それは、障害を受けてから未だそれほど年数が経っていない頃の話だったと思いますが、ご自宅のリビングでテレビのリモコンをとって欲しいと話したところ、全然家族に相手にされなかった事があったという話でしたが、そのことは駒﨑さんを自立させるための家族の愛情だったと気付いたというお話だったと思います。

駒 﨑:私の今があるのは、家族の支えがあったからだと思います。事故当時、仮に一人者であったとしたら、今のようにできなかったと思います。よく新聞にも出ますけれど交通事故の死亡よりも自殺する方が多い。ひょっとしたら、私も、そうなったかもしれません。ただ、当時、自分には家族がいて、長男は高校2年、次男は中学3年、長女は中学1年でした。冒頭にも言いましたが、子供のためにも家で親父が寝ている訳にいかないと思ったのです。そのとき、息子が陸上競技をしていたのですが、インターハイに行く1週間前に私が事故に遭いました。息子は親父をインターハイに連れて行くからと言っていたのですが、残念ながら行けませんでした。そして、来年また連れて行くからと言って、息子は頑張って連れて行ってくれたのですが・・・。子供が一生懸命頑張っている姿を見て、私が、障害者スポーツも含めて、人生を考えたときに、自分でも何かできることはないかと考えたのです。競技は違うけれど、息子は陸上競技で、親父は水泳で頑張るという目的があって、今日に至るわけです。

小金沢:水泳を始めたきっかけは、それだったのですか。

駒 﨑:それからは、茨城県のチームに入って頑張ったのですが、自分だけで楽しまないで、栃木県でもチームを立ち上げようという気持ちになったのです。最終目標は
栃木県からも水泳で「パラリンピック」のメダリストを出したいと思っています。

小金沢:駒﨑さん自身が「パラリンピック」を目指して頑張ってくださいよ。

駒 﨑:私は、出会いというのは何かの意味があると思うのです。私は、それを大切にしています。だから、生きているのも、必ず意味があると思うのです。それで、私にできることは何かというと、「この身体が役に立つこと」と「これから私と同じ境遇になった方が、これから歩むであろうとすることに少しでも役に立てたらな」と考えています。

小金沢:私が、駒﨑さんは強い方だなと感じる部分はそこですよ。凄いですね。

駒 﨑:明日って分からないですから、一日一日を一生懸命に生きているだけです。ただ、私は、今、生かされていると感じています。運が悪ければ事故で死んでいたかもしれない。だから、自分は、生かされているのだと感じます。この世でやることがあると感じています。マイナスは考えないですね、私は・・・。

小金沢:そのような状況に追い込まれたら、普通は、自分のことで精一杯だと思うのですが、駒﨑さんから出て来た言葉は、“皆のため”と考えていることです。ごく自然に出てくるのだから、凄いなと感じます。

駒 﨑:スポーツを通じて様々な人と出会って、今、私は思うのですが、障害というのは、たぶん選ばれた人でしかなれないと思っています。だから、生きているのには、必ず何かの意味があるはずなのです。いろいろな場所で、いろいろな人と出会いますが、皆さん強いです。前向きです。それを全部受け入れているとも思いますし、乗り越えていると思います。意外と周りはかわいそうだと思ってしまうのですが、私は、自分のことを全然かわいそうだとは思っていません。

小金沢:駒﨑さんのお話しを聞くと大変驚くことばかりなのですが、そんな駒崎さんでも驚いたという方がいれば教えて欲しいのですが・・。

駒 﨑:その方は生まれつき上腕がない方で、足が手の代わりもするのですが、足で水着は着ますし、帽子もかぶります。ゴーグルもやります。想像つきますか。

小金沢:想像つきませんね。

駒 﨑:その方、大阪の方なのですが、「パラリンピック選手」です。衝撃的でした。それに比べれば、自分は義足をつければ歩けるわけですから・・・。

小金沢:そのように考えることができるのですね。

駒 﨑:はい。そのように考えられるようになりました。「自分より大変な人がいる」と、障害についても理解できるようになりました。
この前、水泳を通じて視覚障害者の方とお話する機会があったのですが、白杖ついてどこでも行くということでした。「困ったときにどうするのですか」と聞いたのですが、その方は「そのときは、自分から助けてくださいと言います」と話をしていました。水泳は、その方にとって、それだけの思いをしてまでやりたいと感じる魅力があるのです。1回しかない人生で家にじっとしていても詰まらないじゃないですか。そう思いませんか。


▼水泳に出会えたことで自分の人生は相当変わったと思います

小金沢:最後にお聞きしますが、駒﨑さんは、水泳をやって良かったなと感じることは何ですか。

駒 﨑:クラス分けによって、自分の障害が認識できたことです。それは、自分の障害が他と比べれば軽いと分かったことです。それまでの自分は、自分の障害を重いと感じていました。水泳に出会っていなくて、クラス分けを受けていなかったら、今の自分はなかったかもしれない。他のスポーツに取り組んだ場合には、そこまでならなかったと思う。水泳に出会えたことで、私の人生は相当変わったといます。

小金沢:一番合ったスポーツに出会えたのですね。『栃木県身体障害者水泳協会』も設立1年を経過しようとしていますが、活動も順調で、ますます目が離せなくなっています。そのような中で、今後の目標についてお話をお聞かせください。

駒 﨑:是非、本県からもパラリンピックのメダリストを出したいですね。水泳の参加者も多くなってきて欲しいですね。私が始めた頃に比べたら少しずつ良くなってきていると思いますので、期待したいです。この前もプールで泳いでいたら、その姿を見ていた方から休憩で声をかけられました。一人二人と私の周りに人が集まってきましたが、「手だけでどうやって泳ぐのですか」と聞かれました。笑い話なのですが、それから後の時間は、皆さんとおしゃべりになってしまって、結局、練習はできませんでした。
何が言いたいのかと言いますと、私達がプールに行くと、なかなか声はかけないけれど練習を見ているという方が結構たくさんいるのですね。もし、プールで泳いでいる姿をみたら、もっと気軽に声をかけて欲しいと感じています。障害者にあまり気を使わないで良いと思うのです。普通で良いのです。何のスポーツに対しても、障害に対しても、普通で良いのです。もっと、いろいろなところでバリアーをとった方が良いと思います。考え方としてね。お互いに。

小金沢:今日は、ありがとうございました。これからも期待していますので、頑張ってください。

 

<駒﨑 茂(こまざき しげる)プロフィール>

生年月日:1962年8月28日生まれ
現住所:宇都宮市
出身地:下都賀郡壬生町
障害: 右大腿切断、左下腿切断
勤務先:特定医療法人仁寿会 総和中央病院 医療福祉相談室
身体障害者1級相談員、義肢装具アドバイザー
趣味:ドライブ
家族構成:妻、長男、次男、長女
成績:全国障害者スポーツ大会兵庫大会、水泳50m平泳ぎ大会新記録
競技歴:約8年

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