永年にわたり車椅子バスケットボール競技選手として活躍し、平成元年度に『車椅子バスケットボール栃の葉大会』を主催するなど同競技の普及・発展に尽力された佐々木清美氏。同氏は、昭和56年より小学校・中学校を訪問し、車椅子バスケットボール体験教室を開催するなど、ノーマライゼーション社会の実現を目指し、精力的に活動されています。
そこで、今回は、佐々木さんに”スポットライト”を当てて、「車椅子バスケットボール」の魅力に迫りたいと思います。聞き手は、協会職員の小金沢です。
小金沢:佐々木さん、忙しそうですね!
佐々木:何だか、しっちゃか、めっちゃかでね!訳が分からないよ!
小金沢:忙しいところ大変申し訳ありませんが、今日は、よろしくお願いします。佐々木さんとのお付き合いは長いですが、こういった形で改めてお話を聞く機会もあまりなかったのではないかと思います。
佐々木:言われてみると、小金沢さんと会えばいつも障害者スポーツのことばかり話をしているので、改めて聞かれるというのは無かったかもしれないね。
小金沢:この企画は、昨年8月に当協会のホームページがリニューアルしましたので、多くの人に障害者スポーツの魅力を伝えたいと考えて企画しました。これから、たくさんの人に登場していただこうと考えていますが、先ずは佐々木さんに“白羽の矢”を立てた訳です。
佐々木:分かりました。お役に立てるように頑張ります。
小金沢:早速ですが、普段親しくお話をさせていただいているので、これまで改めて聞いたことがなかったと思いますが、車椅子バスケットボールとの出会いについて教えてください。
佐々木:私は、秋田県で生まれ、中学卒業後に上京しました。就職して4年目だったと思いますが、作業現場で働いていましたが、そのときに事故で障害者になりました。昭和42年10月16日です。確か19歳のときでした。それで、東京と埼玉で2年半入院してから、埼玉の更生指導所で4年半職業訓練を受けました。その後に千葉県に移り、千葉の作業所で車椅子バスケットボールに出会いました。
小金沢:障害者になる以前は、何かスポーツをやっていましたか?
佐々木:何もスポーツはやっていませんでした。
小金沢:そうですか!今は、車椅子バスケットボール以外にも様々なスポーツを楽しんでいるようですが、もともとスポーツは得意分野なのかなと感じていましたので、驚きですね。なぜ、車椅子バスケットボールを始めたのですか?
佐々木:当時、千葉の作業所には50名程度の車椅子の方が働いていました。5時に仕事は終りました。作業所では、クラブ活動として車椅子バスケットボールクラブがありましたが、そこに誘われた訳です。現在の千葉ホークスの前身です。当時のクラブには、全国車椅子バスケットボール連盟会長の野口さんも先輩でいました。車椅子バスケットボールは、仲間と何か一緒に楽しみたいと言う理由で始めたと思います。25、26歳の頃かなと思います。
クラブは、当時から常に優勝を目指しているチームでしたから、練習は“めちゃくちゃ”厳しかったです。
小金沢:現在62歳ですから、約35年のキャリアですね。
佐々木:怪我をした当時は、障害者、特に車椅子の人が、やっているスポーツは少なかったと思う。バスケ、卓球、アーチェリーがあったくらいかな。たぶんテニスはなかったと思う。障害者スポーツは、“東京パラリンピック”のあと40年代に入ってから目を向けられたように思う。50年代になって揃ったという感じですかね。本県では、昭和55年に『全国身体障害者スポーツ大会』を開催したのですが、その頃から徐々に変わってきたように感じます。
小金沢:昭和55年の全国身体障害者スポーツ大会栃の葉大会は、本県の代表として戦ったのですか。
佐々木:栃の葉大会は千葉県チームの一員として出場しました。栃木県に住所を移したのは56年の頃です。
小金沢:その頃の本県の状況と比べると、現在の状況はどのように感じますか。
佐々木:昭和55年頃は、“グランドソフトボール”“卓球”“車椅子バスケ”の3クラブしかなかったと思います。知的障害者のスポーツ団体は無かったです。それが、今では、増渕君(車椅子バスケットボール)、金田さん(シッティングバレーボール)、『デフリンピック』、『スペシャルオリンピックス』などの国際大会に出場する選手がたくさん出てきた。昔に比べるとスポーツを楽しむ障害者が増えてきたように思う。
小金沢:佐々木さんが会長を務める「栃木県障害者スポーツ団体連絡協議会(略して「スポ団連」という。)」には、たくさんのクラブが加盟していますよね。
佐々木:「スポ団連」の活動はこれからだと思っています。各団体と横の連携をとりながら、様々なスポーツを普及させたいと考えています。
小金沢:本協会としても「スポ団連」の活動には期待しています。一緒になって頑張りましょう。
佐々木:私自身がそうだったのですが、障害者になった当時は車椅子の生活では寝たきりとか在宅で一生終えるようなイメージがありましたが、車椅子バスケットボールとの出会いによって変わった。仲間が増え、可能性が広がったと感じます。
小金沢:障害者の方で現在スポーツを楽しんでいる方に何か一言・・。
佐々木:色んなスポーツに挑戦して、もっと仲間を増やそうよ。
小金沢:障害者の方でスポーツを楽しんでいない人に一言・・・。
佐々木:私は、これまで色々なスポーツを体験しました。その体験を通して可能性が広がったと感じています。仲間も増えたと感じています。先ずは“見ること”、“体験すること”が重要かなと感じます。
小金沢:ちなみに、どのようなスポーツをなさったのですか。
佐々木:車椅子バスケットボール以外では、陸上競技、マラソン、テニス、卓球、ダンスなど。
小金沢:そして、最近ではスキーですか。素晴らしいですね。スキーを始められたのは遅かったですよね。
佐々木:50歳になってからスキーを始めました。
小金沢:また、なぜ50歳になってからスキーを始めたのですか?
佐々木:スキーの仲間が良かった。きっかけは、当時、ダンスをやっていた仲間から誘われた。黒須さん(冬季パラリンピックのチェアスキー日本代表選手)なんかとも一緒に行けたし、楽しかったよ。
小金沢:前回(1月9日)の障害者スキー協会のスキー教室も大変評判が良かったようですね。
佐々木:お蔭様で、次回(2月13日)には40名の申込があり、大型バスを借りて行くことになりました。
小金沢:以前は、坂本さん(障害者スキー協会会長)が赤字を出して実施している状況を嘆いていましたが、今回は良かったですね。これからも応援しますので、頑張ってください。
佐々木:スキー教室が終ってから報告します。
小金沢:障害者スポーツのさらなる発展に向けてお話を伺いたいと思います。先ほどのお話では、本県から国際大会に出場する方が多くなってきたという話がありましたが、佐々木さんもフェスピックに出場していますよね。
佐々木:はい。近年、国際大会に出場する選手が多くなったと思いますが、私のように、現役を退いた者だから言えるのかもしれませんが、常に感謝の気持ちを忘れずにいて欲しいと感じます。周囲の人の支えがあって成り立っていることを理解して欲しいと感じます。自分ひとりでスポーツをやっているのだと勘違いしないで欲しい。
小金沢:平成13年11月に厚生労働省は各都道府県に対して「これからの障害者スポーツは、生活をより豊かにするという視点に立った生活の中で楽しむことのできるスポーツと、競技性の高いスポーツの両面から振興を図っていく必要がある」と障害者スポーツ振興についてのビジョンを出していますが、本県の障害者スポーツ振興について、今後、何が重要であると感じますか。
佐々木:底辺の広がりが欲しい。競技人口が多くなり、そのような状況の中で選ばれることに価値がある。
小金沢:底辺の拡大なしに競技力の向上はありえないということですね。
佐々木:本県で言えば、各地域でクラブチームがたくさんあることが必要です。選手が、色々なクラブに所属していても構わないと思います。そのうえで、自分にあったものを探せば良い。どうせ佐々木は、何でもできるから言うのだろうと言われるかもしれませんが、スポーツに限らず文化活動でも何でも体験すれば良い。残念ながら、スポーツ活動、文化活動にまで、障害者問題は進んでいないように感じますが・・。
小金沢:本協会としては、スポーツが生活をより豊かにするという視点にたって、「生活の中で楽しむスポーツ」、さらに「夢や希望を与えてくれる競技スポーツ」をコンセプトに振興策を検討して参りたいと考えていますので、よろしくお願いします。
佐々木:楽しいことは長く続く。車椅子バスケットボール、スキーは楽しい。仲間も増えました。今日は、有難うございました。
<佐々木清美(ささき きよみ)さんのプロフィール>
昭和23年10月11日生まれ。62歳。19歳の時に脊髄損傷が原因で障害が残る。『栃木WBC車椅子バスケットボール』に所属し、競技の普及に尽力した。昭和57年フェスピック香港大会に出場し2位。平成2年日本車椅子バスケットボール連盟理事に就任。事業部長として競技の振興に尽力した。平成5年には「栃木県車椅子バスケットボール連盟」設立し、会長に就任。「栃木県バスケットボール協会」理事に就任した。平成5年から「栃木県障害者スポーツ協会」理事に就任し、現在副会長を務める。平成13年に「栃木県障害者スポーツ団体連絡協議会」を立上げ、会長に就任した。